去日本,上日本邦

平成XX年:日本年号是这样来的

年号法

第1項: 元号は、政令で定める。第2項: 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める(一世一元の制)。

第1项:年号根据政令而定。第2项:仅在皇位继承时可改年号(一世一元制)

《平成XX年:日本年号是这样来的》

1.平成(へいせい)
1.平成(1989年1月8日~至今)
注:计算方法为:公元年份-1988=平成XX年。比如2016年为平成28年。
新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成」、『書経』大禹謨の「地平天成」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。
公布新年号的时候,小渊惠三所说的平成年号名字源于《史记》五帝本纪中的 “内平外成”和《书经》大禹谟的“地平天成”,寓意“内外、天地间皆平和”。
2.昭和(しょうわ)
2.昭和(1926.12.25-1989.1.7
注:计算方法为:公元年份-1925=昭和XX年。比如1980年为昭和55年。
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代にまったく同じ出典で、「明和」の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
“昭和”源于四书五经中书经尧典的“百姓昭明、协和万邦”。是汉学者吉田增藏的提案。此外,江户时代的“明和”年号也是出自同样的典籍(“百姓昭明,协和万邦”)。带有祈求国民平和和世界各国共存繁荣的寓意。
3.大正(たいしょう)
3.大正(1912.7.30-1926.12.25)
注:计算方法为:公元年份-1911=大正XX年。比如1920年为大正9年。
「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。
“大正”源于《易经》彖传・临卦的“大亨以正,天之道也”。“大正”过去4次成为年号的候补,但是是在第5次才被采用。
4.明治(めいじ)
4.明治(1868.9.8-1912.7.30)
注:计算方法为:公元年份-1867=明治XX年。比如1900年为明治33年。
明治の由来:『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算にして11度目にして採用された。
明治源于《易经》的“圣人南面而听天下,向明而治”。“圣人南面而听天下,向明而治”这句话在过去改年号的时候,在江户时代就有8次、总共10次成为年号候补。这么算下来,是在第11次甄选时才被采用。
5.慶応(けいおう)
5.庆应(1865.4.7-1868.9.8)
慶応の由来:『文選』の「慶雲応(まさ)に輝くべし」より。
庆应源于《文选》的“庆云应辉”。
6.元治(げんじ)
6.元治
元治の由来:『周易』の「乾元用九、天下治也」および『三国志』の「天地以四時成功、元首以輔弼興治」より。
元治源于《周易》的“乾元用九,天下治也”以及《三国演义》的“天地以四时成功,元首以辅弼兴治”。
7.文久(ぶんきゅう)
7.文久
文久の由来:『後漢書』謝該伝の「文武並用、成長久之計」より。
文久源于“后汉书”谢该传的“武并用,成长久之计”。
ここから下は主なものを取り上げてみました。
接下来只介绍一些主要的年号
8.安政(あんせい)
8.安政(1854.11.27-1860.3.18
安政の由来:『群書治要』の「庶民安政、然後君子安位矣」 から。
安政源于《群书治要》的“庶民安政,然后君子安位矣”。
9.享保(きょうほう、きょうほ)
9.享保

《平成XX年:日本年号是这样来的》

享保の由来:『後周書』にある「享茲大命、保有万国」から。
享保源于《后周书》中的“享兹大命,保有万国”。
10.元禄(げんろく、旧字体では元祿)
10.元禄
元禄の由来:『文選』の「建立元勳、以歷顯祿、福之上也」より。
元禄源于《文选》中的“建立元勋,以应显禄,福之上也”。
11.慶長(けいちょう)
11.庆长(1596.10.27-1615.7.13)
慶長の由来:『毛詩注疏』の「文王功徳深厚、故福慶延長也」から。
庆长源于《毛诗注疏》中的“文王功德深厚,故福庆延长也”。
豊臣政権は自己の権威の維持を図るために豊臣秀次が自害した文禄4年と豊臣秀吉が病死した慶長3年に朝廷に対して改元を要請したことが知られているが、朝廷はこれを拒んでいる。この時期(豊臣政権)の改元はあくまでも公家側と武家側の意見の一致が必要であり、それが成立したのが後陽成天皇即位に伴う代始改元の動きと豊臣政権による全国平定が重なった「文禄」改元と京都などで地震が相次いだ「慶長」改元のみであったとみられている。
丰臣政权为了维持自己的权威,在丰臣秀次自杀后的文禄4年与丰臣秀吉病死后的庆长3年,丰臣政权要求朝廷改年号,但是朝廷对此要求予以拒绝。这一时期(丰臣政权)的改年号说到底就是需要公家和武家的意见一致,采取这种方式决定年号的也只有因后阳成天皇即位而实施改朝换代和丰臣政权平定全国的事件重叠在一起而改年号为“文禄”,京都等地的地震而改年号为“庆长”这两次而已。
12.天正(てんしょう)
12.天正
天正の由来:『文選』の「君以下為基、民以食為天、正其末者端其本、善其後者慎其先」と『老子』の「清静者為天下正」から。
天正源于《文选》的“君以下为基,民以食为天,正其末者端其本,善其後者慎其先”和老子的“清静者为天下正”。
13.応仁(おうにん)
13.应仁
応仁の由来:『維城典訓』の「仁之感物、物之応仁、若影随形、猶声致響」から。
应仁源于《维城典训》中的“仁之感物,物之应仁,若影随行,犹声致响”。
14.大化(たいか)
14.大化
大化(たいか)は、日本最初の元号。645年から650年までの期間を指す。
大化是日本最初的年号。指645年至650年这段时间。 
大化の由来:『書経』(『尚書』)大誥の「肆予大化誘我友邦君」から。

『漢書』巻56の「古者修教訓之官務以徳善化民、已大化之後天下常亡一人之獄矣」から。

『宋書』巻20の「神武鷹揚、大化咸煕」から。

大化的由来:《书经》(《尚书》)大诰中的“肆予大化诱我友邦君”。

《汉书》卷56的“古者修教训之官,务以德善化民,民已大化之后,天下常亡一人之狱矣”。

《宋书》卷20的“神武鹰扬,大化咸熙”。

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